石川県志賀町
更新日:2019年5月31日
平成2年(1990)11月3日 =姉妹都市提携調印=
志賀町の位置と地勢
志賀町は、能登半島中央部に位置し、東西12.7km、南北31.0kmと南北に細長く、西側は日本海に面し、北は輪島市や穴水町に、東は七尾市や中能登町に、南は羽咋市に接しています。
車では、金沢から能登有料道路経由で北へ約1時間。公共交通機関ではJR羽咋駅からバスで約30分、能登空港からは、約40分の位置にあります。
面積は246.55km2で、林野が65.9%を占め、経営耕地が10.3%、宅地が3.1%、その他が20.7%。豊かな自然に恵まれ、奇岩・怪石や白砂青松の海岸線は、能登半島国定公園の一部で、能登金剛と称され、源義経の伝説とともに能登を代表する美しい景勝地となっています。
また、まちの中央部のなだらかな丘陵地には、リゾートホテル、ゴルフ場、別荘地を有する「志賀の郷リゾート」など多様な観光資源を抱えています。
志賀町の歴史と文化
志賀町は、古くから人々が住みついており、縄文時代や弥生時代、古墳時代の遺跡が多くあります。奈良・平安時代には、大陸の渤海国(現在のロシア・中国・北朝鮮あたり)との交流があり、藩政期には、福浦港は北前船の西廻り航路の寄港地として栄え、遊女が愛しい船員との別れを惜しみ、腰巻をかけて時化(荒天)を願ったと伝わる腰巻地蔵や日本最古の木造灯台があった場所として、県指定史跡旧福浦灯台があります。
また、かつての福野潟は於古川の運ぶ土砂で埋め立てられて美田の広がる福野平野へと変わり、河口の海岸部は天然の良港を擁し、若狭の国(福井県)の高浜町から漁師が住み着いたことから、高浜町という地名となりました。
まちの文化遺産としては、室町時代に建立された松尾神社本殿などが国指定の重要文化財となっているほか、夏から秋にかけては、町内のいたるところで祭りが行われるシーズンとなり、堀松の綱引き祭り、数十基のキリコ(奉灯)が繰り出す八朔祭礼、県内で最も古い歴史を持つ太鼓打競技大会などの伝統行事や獅子舞、太鼓が伝承されています。
高浜町と志賀町の最近の交流
H17 | : | 志賀町の高浜町商工会青年部が高浜町を訪れ、町内施設を見学しました。 |
H18 | : | 高浜町文化協議会が志賀町を訪れ、町内施設を見学しました。 |
H19 | : | 志賀町議会議員が高浜町を訪れ、佐伎治神社式年大祭見学を行いました。 |
H20 | : | 高浜町の学童野球チーム高浜クラブが志賀町を訪れ、スポーツ交流を行いました。 |
H21 | : |
高浜町ジュニアリーダーズクラブのサマーキャンプに志賀町の5,6年生児童30名が参加しました。 |
H22 | : |
・姉妹都市交流20周年を記念して、両町の中学生が共同で発案したデザインを基に姉妹都市交流の象徴となる「友好旗」を作成しました。 ・高浜町漁業関係者が石川県漁協志賀支所と高浜支所、漁港、ヒラメ・アワビ・サザエの種苗生産施設、イワムシ養殖場を視察し、漁業交流を行いました。 |
H23 | : | 志賀町で農家レストランを営んでいる郷土料理研究家の方をお招きし、地元の女将さんメンバーの方々や、食育や料理に関心のある方々との“郷土料理””食”を通じた交流を行いました。 |
H24 | : | 若狭たかはまひなまつりの会の方々が志賀町を訪れ、志賀町グリーン・ツーリズム協議会の皆様と草木染めやころ柿づくりなどの体験を通して交流を行いました。 |
H25 | : | 志賀町の町長、副町長、議会議員の皆様をお招きし、七年祭の神輿巡幸・太刀振・曳山芸能などの見学や交流会を通じて両町の交流を行いました。 |
H26 | : | 若狭和田マリナーズが志賀町を訪れ、志賀学童野球クラブと交流試合や交流会を通じて両町の親交を深めました。 |
H27 | : | 志賀町合併10周年記念式典のステージでの、東山芸能衆による大太鼓や太刀振の披露や交流会を通じて両町の親交を深めました。 |
人口と世帯数
人口23,621人8,079世帯(平成22年4月1日現在)
リンク
場所情報
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