七七年祭の見どころ

中ノ山
中ノ山神輿の祭神は素盞鳴命で、荒ぶる神の宿る神輿にふさわしく三基の中で最も大きく、また駕興丁の数も130名でいちばん多い。昭和34年以降は中ノ山・西山・東山の順に神社を出発している。 製作年代は不詳であるが、瓔珞などの錺道具箱に「明和四亥年(1767)五月吉日」と記されている。 中ノ山御旅所は本町区の時岡善太夫家であり、古来より七年祭の祭礼司を勤める。屋敷地は高浜城下舘丿口に位置し、本町通りに面している。

西 山
西山神輿の祭神は大己貴命で、後の大国主命である。『日本書紀』では素盞鳴命と稲田姫命の子とされ、『古事記』などでは両神の六世の孫とされる。『佐伎治神社記録』によると「享和3年(1803)に坂田村の大工勘助と立石村の仁平の手により製作された」ものであるという。西山山元は子生区・畑区・立石区・中寄区が交替で当番区を勤めるが、二回に一度は必ず子生区の清常孫兵衛家が受け持つことになっており、子生区は12年ごと、他の三区は36年に一度のご巡幸となる。

東 山
東山神輿の祭神は稲田姫命で、女神様らしく京都祗園祭の三基の神輿と同様に、六角の屋根から胴にかけて金色に仕立ててある。 『東山神輿帳(写)』によると、現在の神輿は文政4年(1821)4月に大阪心斎橋筋本町、錺屋鎌田常右衛門より購入し、4月7日に龍蔵院(佐伎治神社の別当寺院)に納めている。 東山山元は薗部区の松岡弥助家であり、屋敷地は薗部と岩神の境、新川沿いに位置している。
太刀振
西山太刀振(子生区)
西山の太刀振は「薙刀(なぎなた)」のほかに「露払い」二振り「小太刀」「棒振り」「橋弁慶」「日傘振り」を演じる。遊びたい盛りの子供たちを、履物の揃え方やお辞儀のしかたから始めて、半年がかりで芸役者に仕立て上げる師匠や世話方の苦労は並大抵ではない。
中ノ山太刀振(塩土区)
中ノ山太刀振は「大薙刀」(青年だけで振る)のほかに「彦山権現」「藤の棚」「橋弁慶」「伊達風俗」「白石仇討」「熊坂」を演じる。演じ手が互いに呼吸を合わせて素早く動きまた静止もするが、流れ自体は停まることはなく、緩急自在の演技に観衆は思わず息を呑む。
東山太刀振(東部若連中)
東山の太刀振は「大太刀」のほかに「橋弁慶」「藤乃棚」「佐倉宗五郎」「白石噺」「幡随院」「鈴ヶ森」を演じる。型の基本「引き太刀」を十分に練習してから演技の稽古に入るため、下半身の安定感は抜群で、腰の坐ったきめの姿勢の美しさに定評がある。
神楽(西部若連中)
七年祭の神楽は西山に属する立石区・畑区・中寄区の青年により奉納され、お囃子が伴う。
演目には、「幣の舞」「剣の舞」「本神楽」「荒獅子」があり、「荒獅子」には愛嬌たっぷりの天狗も登場するため注目が集まる。
お田植(事代区)
お田植の構成は、まず八人前後の青年がクワやエブリを持ち円陣を組んで謡いながら舞う「ごよがの」で始まる。
次に、神主三人による「大田植」へと続き、途中エブリを持つ青年が立ち上がり、田をならす所作をしながら謡ったあと、神主と子供衆十数人からなる早乙女との掛け合いとなる。
曳山芸能
七年祭の曳山では若連中による「屋台囃子」と子供たちによる「日本舞踊」や「歌謡舞踊」と「太鼓の演奏」が奉納される。東山に属する横町区・赤尾町区と中ノ山に属する本町区・今在家区・中町区・大西区・若宮区の七基の曳山が、神輿の動かない2日目・3日目・5日目・6日目に神社や御旅所・本陣に参詣して奉納を行う。特に2日目は「山上がり」と称して全曳山が神社に揃う。
横町区
赤尾町区
本町区
今在家区
中町区
大西区
若宮区
囃子奉納