すし発祥の地『若狭たかはま鮨』
更新日:2019年4月9日
すし発祥の地「若狭高浜」の歴史的ものがたり
昭和35年、奈良の平城宮跡から出土した大量の荷札木簡(荷物を送るときにつけた荷札 )『贄札(にえふだ)』の中に「若狭國遠敷郡青里御贄多比鮓壹かく」と記されたものがあることを、昭和38年に当時の国立奈良文化財研究所が発表しました。これは、若狭国遠敷郡青の里(現在の高浜町青郷地区)より、多比鮓(鯛のすし)を献上したことを示すものです。この木簡は、すしの存在を示す最古の現物資料であることから、考古学会に一大センセーションを巻き起こしました。
「贄(にえ)」とは、皇族に対して税の一種として献上された食材で、全国各地の特産物が納められており、現在発見されている若狭地域の贄札には、ほとんど高浜町の地名が記され、「すし」や「ひもの」に加工され納められていたことが分かります。
平成22年4月には、この木簡に由来し、「高浜町御贄(みにえ)献上行列」を実行しました。
(御贄献上行列とは?・・・平成22年4月24日の「平城遷都1300年祭」オープニングを目指し、その当時を再現した行列を仕立て、高浜から奈良の記念会場まで特産の品々や木簡に記された当時の献上品(すし・塩 等)を運び、式典会場で特産品献上セレモニーや会場での特産品販売を行い、高浜町の歴史・文化を全国にアピールするもの。)
『若狭たかはま鮨』ブランド化推進の取り組み
高浜町では、この「木簡」にちなみ、「若狭たかはま鮨」のブランド化を推進しています。平成20年度には、若狭たかはま鮨ブランド化推進事業として、「鮨」を高浜のブランドにしていくための地域住民全体への意義づけ、住民みんなで「鮨のまちづくり」を進めていくための母体づくりと具体的な戦略検討、実際に商売として「鮨」を製造・販売していく担い手づくりなどを実施しました。また、京都芸術デザイン専門学校との協働によりロゴデザインの制作や京都での実験販売等も進めてきました。
その結果、製造者・販売者等によるブランド化推進協議会も立ち上がり、毎月1回、行事鮨(節分、ひなまつり等)として、町内の民間スーパー等店舗で定期販売もスタートし、町内外での各種イベントにおいても「たかはま鮨」の販売が定着化してきてたところです。また、これら『若狭たかはま鮨』販売については、常に完売する状況で、たかはま鮨の認知度も徐々に広がってきており、製造者・販売者・消費者等それぞれにおいて盛り上がりをみせています。
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